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アサヒビールの広告から考える今時の日本のビールの立ち位置


先日、電車内でこれまでの自分なかの常識を覆す広告をみた。アサヒビールのクリアアサヒの広告だ。


この広告の何がそんなに衝撃的だったかというと、ビールのコップのフチの泡にまるで雪がつもったかのようなイラストをかぶせているところだ。これは日本のビールの広告としてはこれまでであれば考えられないデザインなんじゃないだろうか。


日本のビールは喉越しや飲みやすさというものを特に押し出す傾向にある。「とりあえずビール」という文化をビール会社の並々ならぬ努力で築きあげてきたことからもビールの宣伝を行う際にはコップから泡がこぼれおちそうな、今コップにそそいだばかりかのような、思わずコップに口をつけたくなるような、そんな訴求がかかせないもののはずだった。


またこれはビールに限らず食べ物、飲み物の写真で「口にしたい!」という人間の欲求を高めるために大事なのは、切り口だったり光のあたり加減であったりといったソレを縁取るラインが最も重要なので、デザインする際にそれらが隠れてしまうような飾りなどはデザイン案の段階でボツになることがだいたいだ。


今回の広告が例えばオクトーバーフェストで飲むような味を楽しむビールであれば、このイラストをのせる形でもそんなに衝撃を受けなかったかもしれない。ベルギービールなどは日本のビールの飲み方とか異なり泡についてそれほど重きをおいていないからだ。
しかしこのクリアアサヒという商品は「クリーミーな泡とクリアな後味」を特徴として押し出している。商品の特徴であるクリーミー感あふれるはずのフチの泡を消してしまうのは商品のアイデンティティをないがしろにしているように思える。これはどういうことなんだろうか。


ここからあのアサヒビールがなぜこんな広告にしたのか逆説的に意味を考えてみる。


クリアアサヒは個人的な感覚でいうと「とりあえずビール」のときに選ぶビールではなく「グラスあきましたね、次なに飲みますか?」「あ、えーと、じゃあビールで」といった2杯目以降もなんとなくビールでいいかな、というときに適した飲み物であると思っている。
1杯目に日本人が求める喉越し感を味わうにはやはりスーパードライのような切れ味のよいものの方がよく、2杯目以降に料理を食べながらちょいちょい飲むような段階のときにクリアアサヒはちょうどよいのだ。というか、ここまでさんざんビールビールといってきたが正確にはクリアアサヒはいわゆる第三のビール(ビール、発泡酒ともちがうビール風味のアルコール)なので、お手頃にほろ酔い気分を味わうのに適した飲み物だということだ。


ということを踏まえて広告をみると、なるほど、クリスマスパーティーでみんなである程度盛り上がっているときに飲んでほしいということなのかもしれない。お酒もすすんで3杯目くらいでいい感じにほろ酔いになって、もうコップとか関係ないし、あるもの飲む!というシチュエーションをこの広告ではイメージしているのかもしれない。
それであればコップのフチが見えてようが見えなかろうが、泡があろうがなかろうがどうでもいいともいえる。酔えれば、楽しければなんでもいいからだ。


「とりあえずビール」の風習も昔にくらべればだいぶ下火になったように思える。もちろんビール以外にもおいしいお酒やソフトドリンクはたくさんあるのでぜんぜんいいとおもう。それにビール好きな人たちでは輸入ビールやクラフトビールを好んで飲む人も多くなってきた。
そう考えると日本の大手ビールメーカーはいまちょうど過渡期なのかもしれない。そろそろあたらしい日本のビールの切口が必要にせまられているんじゃないだろうか。
その新しい切口を考える中の1つがこの「みんなで盛り上がりたいからビールっぽいもの飲もうぜ!」というパーティ思考へのシフトなのかもしれない。なるほど、それならこの広告のデザインもありなのかもしれない…ことはない。絶対ない。やっぱナシだよね、これはどう考えてもさ!おいしいとこ消しちゃったらもったいないでしょーに!!!!