昨年、父方の祖母が亡くなった。享年96歳、老衰だった。
亡くなる数ヶ月前に、自分は病院の担当医師に「話がある」と呼び出され延命治療に関する要望書の記入を促された。
現時点で父もおらず、祖父も叔父も亡くなり、ほかに祖母の身近な人間といえば祖母の妹であった。ただ祖母は12人兄弟姉妹で上の方と下の方ではほぼ接点のないままそれぞれ生活してきたそうで、祖母と近しい歳の家族は亡くなっており、唯一生きているその妹も一応の家族としての義理はありつつもあまり近しいきもちを持つような関係ではなかった。
親戚のこと、書ききれない背景がいろいろあるがとにもかくにも状況から鑑みて孫のなかで長子にあたる自分が祖母の第一連絡先を担うことにしていた。
もうおそらく10年ほど、祖母は施設に入居していた。足がわるかったこと以外は概ね元気であったので、施設に遊びにいくと周りのお友達と音楽鑑賞したりパーティしたりと楽しそうだった。近年ボケがはじまりこちらのことももうよくわからなくなってしまっていたが、それでも元気そうではあった。
病院から呼び出されたのは、祖母が高熱を出したため入院している最中のことだった。
入院する1ヶ月前から食欲がぐんと下がり、ほとんどものが食べられない日々の中で高熱が下がらなくなったため緊急入院をしていた。この熱の原因は特にこれということもなく、脱水症状だったとしても風邪をこじらせていたとしてもそうでもあるしそうでもないといえて、いってしまえば年齢により体力が落ちているというただそれだけの状況であるとしかいえないということだった。医師と看護師との話のなかで、ここで原因をさぐることももう意味がない、ということも暗に伝わってきた。
そうして自分に渡されたのが延命治療に関する要望書、と書かれた紙だった。
個室に案内されて「この先どのくらい延命治療をしたいか」と話しだされた。
延命治療というと機械類を身体につないでそれで生命活動を維持するというような形のものであると思っていたが、この場合に聞かれていた延命治療とは「心臓がとまったときに心臓マッサージをするか」「呼吸がとまったときに気管に器具を挿入して呼吸を継続させるか」といった内容のものが主たるところだった。要するに自然のなりゆきで加齢による生命活動停止時になにか措置をしたいかどうか、ということだ。
またあわせて「どれくらい食事をさせたいか」というのも同時に確認された。
食事をするというのはとても大切で、口から栄養を摂取することで血となり肉となる。点滴から栄養はとれるが、けっきょく食べることにはかなわない。ただもう祖母が「ものを食べる」ことのハードルがあがってしまっているこの状況では、食べさせるためにはあらゆる環境を整えなければならなかった。いってしまうと今までいた施設には戻れず、新しいそういう状況に対応できる施設を探さなければならなかった。ただ探してそこに移転したとしても食べられるかわからないし、食べられたとしてそれでどれくらい元気が戻るかもわからない。さらにそうしてむりくり食べさせたものがおいしいのか楽しいのかよくわからない。
また点滴のなかで腕にさす細い管のものではなく、首あたりから直接体内にものをながしこむような太い管の点滴でもって食べることと同じくらいの栄養をなんとか得ることもできるそうだが、その代わりほとんど動けなくなる。そしてそこまでしても結局どこまで「生きられる」のかはもうよくわからない。
というようなことを病院の個室で医師から聞かされ、もし施設をうつすなら病院内のそういうサポートをしている部署もあるからそことも相談できるよと案内もされ、もろもろの情報を聞いたあと祖母の妹や家族に連絡した。「判断は任せる」という旨をそれぞれから聞いたところで、どうしたらいいのかを病院のロビーでぼんやり考えた。
考えたことは祖母のことではなく主に父のことだった。というのも、祖母に対して「どうしてほしい」というきもちが自分のなかにない。小さい頃にかわいがってもらった記憶もあるが、ほかのさまざまなことが絡んだ記憶もあり、その結果祖母に対する思い入れがなかったのだ。
これが家族のことなら最大級のエゴで「こうしたい」と決めてしまえるし過去そうしたこともあるが、なんというかどれをとってもなにをしても結果「わからない」ことにしかならないこの状況で善悪も関係なく何を基準に考えればいいのか曖昧だった。たぶんこちらに判断を任せた人たちもそうだったんだろうとおもう。それでつめたいとか無責任だとかはちっとも思わない。「思い入れがない」というのは結果、対その人と周囲の関係性の問題で、そして思い入れがある人が今時点で全員いないのはただの偶然の流れでしかない。
そう、だから自分はこういうときのために祖母の第一連絡先のを担っていた。だいじな父が、だいじに想っていた祖母に対して、父がどうしたらいいとおもうかの代わりをするために先頭に立っていた。
直接父から祖母に対しての話を聞いたことはないが、小さいころからずっと「延命治療なんていやだ」という話を聞かされてきた。
だから、延命治療に関する要望書のほとんどの項目に「しない」にチェックをいれた。
唯一「する」にチェックをいれたのは点滴の項目だった。ここが1番悩ましいポイントで食べる元気があるうちに食べられるものがあるなら食べさせてあげたいときっとおもうはず、だけど本当に食べ続けられるかもわからないし、慣れ親しんだ施設から今更最後の最後に離してしまうのはきっと嫌がるはず、という考えからすぐ答えが出せずに退院する日まで答えを保留にさせてもらった。
数日悩み、入居している施設とも話をした結果、いままでの施設でも可能な限りは食べられるものを準備する体制を整えてもらえるということで、移転はせず点滴中心で無理のない範囲で食事を摂取するというのを決めた。
そう、決めたのだ。この時点で自分が思い入れのない祖母のその先の人生と、人生の長さを。
色々なことが過ぎたあとに改めて考えてみると、それが本当に父が喜ぶ結果だったのかよくわからない。聞けないし、もし聞けたとしても父も相当に悩むだろうし、逆にそんなところで悩ませなくてよかったというきもちもある。
だからいま、部屋の片付けをしていて要望書の控えがでてきたところで「なぜそう決めたのか」を整頓しようと書き出してみた。
もしまた次にこういうことがあったとき、自分は何を基準にひとの人生を決めたらラクなのだろうか。世の中はどうやってそういうのが決まるんだろうか。
あのときから今までずっと、その答えは医師たちから返ってくる言葉同様に「わからない」という言葉でしかそれを表現できない。