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武蔵小杉は「ムサコ」ではないことを地元民として主張する話

世の中のごくごく一部でとても大きな問題となっている「ムサコ論争」というものがある。
初めて聞いた人にもわかりやすいようにきちんと説明をすると「"ムサコ"と省略され親しまれる地域がいくつかあり、その中のどこが真の"ムサコ"なのか」という各々の地に住まう者同士がプライドとプライドをかけ、日夜論争を繰り広げているというものだ。


その中で今日、自分は武蔵小杉に二十と数年寄り添う者としてここに宣言したい。
武蔵小杉はムサコではない、コスギである、と。


武蔵小杉のムサコという呼ばれ方を初めて聞いたのは社会人になって数年たった頃だった。ちょうどそう、武蔵小杉の周辺で再開発により大型マンションが建ち始めた頃である。


…会社帰りに職場の人と
『どこに住んでるの?』
「武蔵小杉の方ですよ」
『ああ、ムサコなんだね!』
「!?」


社会人になるとよく交わされるお決まりの応酬によりこのようなことを言われ、自分はすぐに、そんな略はじめて聞きましたよ!と地元民としての解釈とは違うことを表明した。


しかし、この呼び方は瞬く間に再開発民や武蔵小杉沿線の利用者にあるツールを介して広まってしまった。それはそう、Twitterだ。
もちろん、呼び方については個人の自由であるからして、別にムサコと呼ばれたところで愛すべき武蔵小杉が変わるわけでもないので、まぁ最近の人はそんな呼び方をするのね、といったところである。
しかし、問題はそれだけにとどまらなかった。それが先ほど説明した「ムサコ論争」である。


なんと、Twitterをベースに「武蔵小杉こそがムサコである!」という主張がたちはじめたのである。いやいや、何をいってるんだ。武蔵小杉はムサコじゃない。コスギだ。ちなみに自分の把握している限りでは、その他にもムサコと親しまれている地域は武蔵小山と武蔵小金井の2つなのだが、その2カ所については自分はそこまで馴染みがないので言及はさけたい。


さて、これだけでは古参面した懐古主義者がああだこうだとオレ主張をわめいているだけに聞こえてしまうとも限らないので、ここできちんと何故、武蔵小杉はコスギであるかについて説明したいとおもう。


まず、武蔵小杉には主要だって4つの線が走っている。東急東横線、東急目黒線、JR南武線、JR横須賀線。横須賀線の駅については正直なところ武蔵小杉駅というよりか、南武線の向河原駅と武蔵小杉駅の真ん中あたりに位置するので、もうそれ向小杉駅なんじゃないかと改名申請を提出したい。だって南武線の武蔵小杉駅から10分くらい歩くんだぞ…。閑話休題。
いまはなしにあげた南武線・武蔵小杉駅の川崎駅方面の隣駅は向河原駅であるが、反対の立川駅方面の隣駅は武蔵中原駅である。さらにその隣は、武蔵新城駅、武蔵溝ノ口駅と続く。
歴史に知見の深い方であれば、その昔ここいらへんが武蔵国であったこともご存知であろうが、特に詳しくなくても要するに「武蔵」というのはそこらへん地域全体をさす名前ということだ。

武蔵国(むさしのくに)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E8%94%B5%E5%9B%BD

なので、武蔵小杉をムサコと呼ぶのであれば、ムサナカ、ムサシン、ムサミゾになるわけであるが、しかしせっかく略しているのにムサシ部分かぶりすぎて逆にややこしいだろ!となる。
またもっと具体的な例として武蔵小杉をムサコと略すのは、こんな風に略しているのと同じことになる。


…どこかの国のどこかの人と
『Hey!YouはどこからFromしたんだい?』
「日本の東京都からきました」
『Oh!ニッキョーだね!So Cool!』
「!?」


武蔵国の小杉なのでムサコ、日本国の東京なのでニッキョー。
なにそれ状態がおわかりいただけたであろうか。


繰り返すが、自分は何も武蔵小杉をムサコと呼ぶなといっているのではない。愛称というのはそれぞれがおもいをこめて呼ぶものであり、それがどのような呼び方であっても個人の自由である。


しかし、ムサコ論争が勃発してしまった今、武蔵小杉を愛する一員として静かに立ち上がり主張しなければならない。


我らの武蔵小杉はムサコではない、と。
争う必要はないのだと。